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A nagy füzet 悪童日記

ハンガリー映画 (2013)

ハンガリーから亡命したアゴタ・クリストフ(Agota Kristof)の同名原作〔日本語題名は同じ、フランス語で書かれた原作題名は“Le grand cahier”〕の映画化。ただし、「映画化不可能」というキャッチフレーズは全く理解できない。双子に扮するハンガリーの田舎育ちのラースロー・ジェーマント(László Gyémánt)、アンドラーシュ・ジェーマント(András Gyémánt)の双子は、ルックスも並みなら演技も並み、2人を見つけるのが「不可能」だっとはとても思えない。

物語の舞台は、第二次大戦末期からソ連赤軍侵攻時にかけてのハンガリー。オーストリア国境付近の村に、疎開のため母親に連れられてきた双子が、祖母の農家に預けられた後の日常の生活を追っている。ただ、原作を含めてすごいのは、その祖母(Piroska Molnár)のユニークなキャラクター。村人からは魔女と呼ばれ、双子のことは「牝犬の子」と呼ぶ。その厳しく、えげつなく、愛情のかけらもない、打算的な口の利き方と、根っからの意地の悪さは、祖母と孫の関係を超越している。こうした環境の中で、双子は鍛えられ、強く、それも容赦なく強く「悪く」なっていく。そして、二人で一人のような存在が、最後に国境を挟んで離別の道を選ぶ。それも、父の死体の上を乗り越えて。

ここで、アゴタ・クリストフの3部作について言及しておきたい。この3部作は、例えばハリーポッター7部作などと違い、最初から3部作の第一話として書かれたものではなく、順次、書き足されていったものだ。だから、3部作と言われてはいるが、これらが一つの世界を描いているのか、パラレルワールドを描いているのかは明確ではない。というのは、第三話にあたる『第三の嘘』で、作者は『悪童日記』そのものを全否定しているからだ。『悪童日記』では双子というだけで名前も分かっていないが、『第三の嘘』ではKlausとLucasだ。双子が4歳のとき、夫が浮気をして子供まで孕ませたと知った母が夫を銃殺、そのうちの一発が跳ね返ってLucasに重い銃傷を負わせる。Lucasは長期入院の後何とか杖で歩けるようになるが、12歳頃にリハビリ・センターが空襲を受け破壊、修道女に連れられ年寄りの百姓女に預けられる。そこが『悪童日記』の舞台に酷似している。Lucasは15歳の時に越境し、LucasをもじってClausと名乗る(アナグラム)。そして、出国してから40年後に一時帰国する。一方、Klausは、母が精神病院に入れられたため、夫の不倫相手の女性に引き取られ、7年後にかなり回復した母と再会、以後面倒をみるようになる。母は罪悪感からLucasのことばかり気に掛けKlausを罵倒するので、Lucasにはうんざりする。14歳で生活のため印刷工として働き始め、17歳で植字工となる。45歳の時、詩人として最初の本を出す。こうして並べると、『悪童日記』は、Lucasが、双子のKlausと一緒に暮らしているような設定で書き上げたフィクションということになる。そう思って『悪童日記』を見れば、確かに少年が二人いることの必然性は全くない。一人でも同じような筋書きのドラマは成立する。ラストシーンも、一人で国境を越えればいいだけの話だ。ただし、第三話の題名は『第三の嘘』だ。第一話の『悪童日記』が嘘であったように、『第三の嘘』も嘘の可能性は充分にある。ということは、何も考えずに『悪童日記』の世界を楽しめばいいのかもしれない。


あらすじ

冒頭、原作にはない、疎開直前の一家の姿が描かれる。そこで父が双子に対し、「起きたことはすべて、このノートに書きなさい」と言って大きなノートを渡す。原題の“nagy”は「大きな」を、“füzet”は「ノート」を意味するので、このノートそのものが主役である。双子はせっせとノートを埋めていき、その書かれた内容が映像化される。
  

一軒の古びた農家に母と双子が入っていくシーン。小説ではここが冒頭になる。ドアを開けて双子を睨みつける祖母。双子が挨拶しないので、「口は?」。「何?」。「口がきけんのか!」と怒鳴る。母は、怯える双子の背中を抱いて、「頑張って」「迎えに来るまで生き抜くのよ」。祖母は「戦争は長引くかもね」「働いてもらうよ」「食い物はタダじゃない」。前途多難だ。
  
  

最初は傍観するだけで、家にも入れてもらえなかった双子だが、祖母が一日中働いているのを見て、恥ずかしくなり自主的に協力し始める。そして貧しい食事が与えられる。そうした日常がルーチン化していくが、問題は、祖母にいつも叩かれたり雑巾でぶたれたり耳を引っ張られたりし、村ではびんたを食らったり蹴られたりすること。だから、痛みに耐えられるよう、体を鍛えることに決める。二人で互いに殴ったり、ベルトで引っ叩いたり、それを何も感じなくなくなるまで続ける。これが最初の「練習」だ。
  

その次が、盲と聾の練習。最初は、布で目を覆い手で耳を塞いだ。空襲の時にやったら、爆撃を受けて、「フリ」を止めて慌てて逃げた。
  

一番大変だったのが飢餓に耐える練習。祖母に「今から4日間、何も食べないよ」「水しか飲まない」と宣言したら、意地悪な彼女は、それを承知でワザと鶏の丸焼きを作る。そして「いい匂いじゃろ」「ももを1本やろう」とわざと尋ねる。そして、双子の目の前で、むしゃぶり食う。映画中、最もグロテスクなシーン。
  

見ていて一番ぞっとするのが、残酷なことの練習。きっかけは、鶏を殺したことだ。鶏小屋から一番いい鶏を捕まえてきて、母から来た手紙に書いてあったように「愛してるよ」と頭をなで、次に村人から怒鳴られた時のように「泥棒、チンピラ…」と罵りながら羽をむしり、最後は首を切断。そして、祖母を呼び出し「焼いて」と強要する。「牝犬の子め」「神様に呪われるがいい」「殺すのが楽しいのかい?」と祖母。その後、昆虫、魚、蛙など様々な生き物を大量に殺していく。
  

ここからは、「練習」からは離れ、いくつかの連鎖したエピソードが始まる。きっかけは、司祭館の雑用係が若い女性に代わったこと。戦争中で青年男性不足。欲求不満の彼女は、祖母の家にじゃがいもを買いに来て「何てハンサムなの」と双子に惚れ込む。そして、あまりに汚れ放題なので、荷物運びという口実で司祭館の洗濯場に連れていく。湯の入った風呂桶を前に「さあ、入って」と迫る女中。恥ずかしいので「ここにいるつもり?」と尋ねると、「恥ずかしがることなんかないわ」「お母さんだと思って」。それでも動かないので、「先に入るわ」「ほら、恥ずかしくなんかない」「あなたたち、まだ小さな坊やだもん」と全裸になって桶に入る。そして、「さあ、中に入って」と引き入れる。入ったところで、パンツを引き抜き、それを使ってまず自分の体を拭いてから、双子の汚れた顔をぬぐう。映画の中で唯一異様なムードのシーン。これは戦争中の一コマというだけでなく、これに続く2つの大きなエピソードの伏線になっている。
  

実は、双子は、以前森で出会い、餓死した脱走兵から武器を奪って隠していた。また、厳冬でどうしても暖かい長靴が必要な時、ユダヤ人の靴屋さんが窮状をみかねてタダでくれていた。そこに、ドイツ兵によるユダヤ人の強制連行。その際に、女中は靴屋のことを密告し、靴屋はその場で殺される。恩義を感じていた靴屋を密告したことに憤った双子。「父さんは言ってた」「悪いことをした人間は、罰せられるべきだ」「そうしないと自覚しない」。そして、女中部屋のストーブに、脱走兵から盗んだ手榴弾を何個も入れる。「残酷なことの練習」の発展型だ。
  
  

地元警察は、女中の所に食料を運び、脱走兵の死骸のあった森に詳しい双子を疑い、徹底的に痛めつける。「痛みに耐える訓練」があっても耐えられないほどだ。そこに、幼児性愛者でいつも双子を可愛がっていたゲシュタポの将校(強制収容所の所長)が入ってきて、刑事を射殺、双子を助け出してやる。
  

赤軍が国境を通り過ぎて間もない戦争終結直前のある日、突然、母が赤ちゃんを連れて双子を迎えに来る。「いらっしゃい」。「それ、誰?」。「あなたたちの妹」「急いで時間がないの」。「どこへ?」。「いいから来なさい」。「僕ら、行かない」。そして、母は襲来した飛行機の爆弾に吹き飛ばされて死んだ。
  

祖母は、一度脳卒中で倒れ、何とか回復した後、双子を部屋に呼んで真剣に語りかける。「今度発作が起きたら、これを牛乳の中に入れるんじゃ、分かったかい?」「できないんなら、お前たち恩知らずだよ」。双子は「ほんとうに望むなら、僕たち、やるよ」と答える。祖母に対し、初めて神妙な顔を見せる双子。
  

祖母の死後、戦争捕虜だった父がやって来た。国境を越えたいと言う。双子は、国境には地雷があると断った上で、父を案内する。鉄条網を乗り越える木の梯子板を2枚持って国境に近付いていく3人。見張りが通り過ぎ、次の見張りが来るまでの20分が勝負だ。父は、第1の鉄条網を越え、国境帯を越えようとして地雷で爆死。双子のうちの一人は、折半した祖母の宝と大切な「大きなノート」を持ち、父の遺体の上を歩いて、反対側の鉄条網に無事辿り着く。「大またで歩いたら国境は越えられる。ただし、誰かが先に行かせる必要がある」とナレーションが入る。あくまで冷徹だ。双子は双子でなくなり、片割れは国境を越えて去っていった。
  
  

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